「会場をトリコロールに染める」
いよいよ2026年度インカレ
みんな最高の思い出にする準備はできてるか?
ほんでラストブログにうつっちゃうよー
このおれ佐藤洋輔が最後を締めくくったるわ!
以下の文は所詮22歳のガキの戯言だと思って聞いていただけたら幸いです。
エピソードトークと、それによって得た価値観、そしてインカレでの好きなシーン。
この3つのフェーズでいくやな!
エピソードトーク
水泳を始めたのは、物心つく前のベビースイミングからです。おそらく現中京の中で、最も早く水に触れている存在だと思います。
最初の全国大会は小学3年生で、リレーに出場しました。そしてその1年後、リレーでメダルを獲得したのが、全国大会での初めての表彰台です。
その半年後、小学5年生で初の個人決勝に進み、4位。そのときはメダルまでわずか0.03秒。かなり悔しい思いをしたことを今でも覚えています。

その悔しさを晴らすべく訪れたチャンス、中学1年生のジュニアオリンピックでは5位に終わってしまい、「個人でメダルを獲得する」というのは、こんなにも壁が高いのかと、さらに挫折を味わいました。
この時点ですでに世界のトップスイマーについて詳しく調べ、泳ぎを真似したりしていて、今考えたらとんでもない水泳キッズだったなと思います笑。
中学2年生では初のナショナル突破、そして悲願の個人初メダル。
中学3年生では全国中学で、これまたわずか0.02秒差で2位になりました。
中学3年生までは、小さな挫折を味わいながらも、それなりに順風満帆に水泳を続けられていたと思います。
ですが、高校1年生に入ったタイミングでコロナ禍に入り、初めて長期にわたって練習をしない時期がありました。
常に全国ランキングを気にしていたり、泳ぎに対して悩みを抱えていた当時の自分にとって、この時初めて、「水泳をしない人生って、こんなに楽で楽しいんだ」と気づいてしまいました。
今となっては、この時期が客観的に自分を見つめ直すことのできた時間であり、人としても、水泳選手としても視野を広げ、人格を高めることができた一つの時期だったと感じています。
高校2年生で迎えた初めてのインターハイ。
高校を代表して出場する初めての全国大会であり、「期待のホープ」として挑んだレースは、21位の惨敗に終わりました。
常にトップ層を走り続け、全国大会でも結果を出し続けていた自分としては、それが悔しくて悔しくてたまりませんでした。
さらに、大学の進路も考えなければいけない大事な時期だったことから、「引退」という文字も頭に浮かびました。
ですが、「このまま終われない」という思いから、死ぬ気で毎日毎日練習に励みました。
時効だと思うので言いますが、当時の自分は、コロナで40度の熱が出ても、肩が脱臼しても練習に行っていた記憶があります。
「努力がキツいと感じる心は、いつかガタが来てしまう消耗品。努力をキツいと思っている限りは半人前やし、まだ努力のレベルが低い」
そう自分に言い聞かせていました。
脳筋思考の当時でも、さすがに「練習やらん方がいいし、相手にも迷惑をかけますね」と思うような状態でした笑。
その影響で家に帰ってきたら気を失っていたこともありました。
それくらい、初めて自分の限界に挑戦し続けた日々でした。
そんなことがかれこれあって、高校3年生では初めて表彰台のてっぺんを取ることができました。
まさに下剋上のドラマですね。
ここからが大学のフェーズ。
おそらく高校まで東京にいた友達にとっては、ここからが未知のフェーズだと思います。
2023年4月、中京大学スポーツ科学部競技スポーツ科学科入学。
学籍番号はJ423129です。
よろしく。
入学してからは、高校時代とは全く違う世界観でした。
寮生活という、親元を離れた生活。それはまさに自由そのものです。
洗濯、料理、買い出し、掃除、行政手続きなど、いろいろなことを自分で行わなければいけない。
一人暮らしレベルが上がったおかげで、スーパーの割引シールはいつも小走りで取りにいきます。
世の親御さんに若干近づくこともできるこの中京大学。
Excellent!
とはいえ、最初は両立することも難しかったです。
段々と大学生活にも慣れてきた頃、いよいよインカレが近づいてきました。
そこでまさかの最終選考落選。
常に夏の主要大会を軸に生活してきた自分にとって、その夏の大会に出られないという経験は、小学校低学年から一度もありませんでした。
なので、当時の自分は「何が起きたのか」全くわかりませんでした。
悔しい、悲しいというより、あまりにも異例のことすぎて、言葉では言い表せない感情でした。
一時期プールから離れることもありましたが、なんとか自分自身を奮い立たせ、また泳ぎ始めました。
そして夏には、50m、100mで好記録を出しました。
それ以降の3年間、ライバルでもあり戦友でもあった、ねもてぃさん(根本大雅)とやまちゃん(山口秀哉)。
「練習から勝ちに行ったろう」と、練習が得意ではない自分が練習で勝てば、絶対に試合でも勝てると思い、必死でくらいつきました。
ですが、練習だけが速くなる一方で、試合では全く結果が出ない日々が続きました。
これが、自分にとって4年間感じ続けることになる「練習と試合のギャップ」につながっていきました。
大学2年生では、高校3年生ぶりの自己ベストを出しました。
そして決勝。
またしても下剋上を起こした自分ですが、結果には全く満足していませんでした。
そして正直、自分が練習をしっかり積めたのも、この大学2年生の夏までが最後でした。
インカレが終わり、いつものように練習していた時。
多少の体調不良なら休まなかった自分でしたが、突然高熱を発症し、やむを得ず練習を休んだ日がありました。
しかし、まさかその高熱が5日間ほど続くとは思ってもいませんでした。
飯を食べることはおろか、飲み物を飲むことも、スマホをいじることさえできないぐらいきつい病気になってしまい、その時期だけで体重は4〜5kg落ちました。
くまちゃん、パチ屋の台に座りながら意識朦朧としている俺。
今となればおもろい笑。
あの時期は症状がキツすぎて、初めて「死んだ方が楽かも」と思ったほどでした。
それがきっかけかは分かりませんが、大学3年生の秋に手術するまで、扁桃腺が腫れ続け、微熱が出やすくなったり、免疫が落ちて疲れやすくなったり。
それによって様々な弊害が生まれ、練習も調整を強いられました。
自分は水泳をする上で、病気のことや個人的な災難を言い訳にしたくなかったので、このことはあまり口にはしませんでした。
そんな中で迎えた、大学2年生での日本選手権。
自分の思いとして、水泳を続ける上では、やはり日本代表になり、世界で活躍することが目標でした。
その目標から逆算したとき、「自分はここで自己ベストを出さなければ、社会人では水泳を続けない」という覚悟を持って挑みました。
結果は惨敗。
強い覚悟を持った上で挑んだ試合で結果を出せず、自分自身に絶望し、大学に来て初めて泣いたのを覚えています。
大学3年生
この年は、自分にとって一番自分自身に絶望した年でした。
この年、自分には成し遂げたい目標が二つありました。
一つは、中京が掲げる目標「天皇杯」。
もともと自分が中京に入った理由の一つとして、「あえて勝ちにくい環境、勝つ難易度が高い環境に身を置くことで、その過程を楽しむことができる」と思ったことがあります。
練習に対する意識やチーム作りなど、勝利に向かって様々な要因からアプローチしていくことで得られる達成感や価値観、感情があります。
それこそが、勝ちにくい環境に身を置くこと、そして中京大学の魅力の一つです。
もう一つの個人的な目標。
それは、ねもてぃさん、やまちゃんと1位、2位、3位フィニッシュをすること。
それは入学した当初から期待されていたことでした。
しかし、なかなかその期待に応える結果を出すことができず、本来引っ張っていく立場である自分が、本戦でも足を引っ張る形になってしまいました。
その結果、インカレ本番では、ただ一人B決勝で泳ぐことになってしまった自分。
少しでも2人が勝てる状況を作りたいと思っていた自分でしたが、その思いとはかけ離れた結果となってしまいました。
結果はもちろん、内心「B決勝か……」というモチベーションで泳いだ自分にも、そしてそれがチームに悪い影響を与えてしまった自分にも絶望しました。
後にダウンスイムをしている時の、やまちゃんのセリフが今でもフラッシュバックします。
「やっぱ俺らダメだったか……」
その「やっぱ」なんて言葉を使わせてはいけないほど、練習し、切磋琢磨し合い、様々な知識やノウハウ、経験を積んできた。
どの大学にも負けないぐらいのことをしてきた自分たちが、最後の最後、気持ちで繋がることができなかった。
その言葉を言わせてしまった自分に対しての罪悪感を、今でも感じています。
3年生の10月。
先ほどの話にもあった扁桃腺の摘出手術を行いました。
全身麻酔を打ったんですけど、「絶対に全身麻酔に勝ったろ」と意気込んだ手術。
あっさり敗北。
医者に摘出させる隙を与えてしまいました。

大学2年生で、水泳をしないことを決めたことから、このタイミングで就活を始めました。
この就活というものは、自分の人生の視野を広げるタイミングでもあり、「水泳をしなくても生きていけるんだ」と初めて感じた機会でもありました。
学力や社会経験が少ない分、常に結果を出し続けることで自分の人生を切り開いてきた人生でした。
しかし、この時から「自分は結果を出さなくても生きていけるんだ」と感じ、泳ぐ理由を見失ってしまいました。
この時を境に、様々な思考が自分の中を駆け巡ることになります。
高校時代にとてつもなく頑張っていた日々とのギャップ。
練習と試合での結果のギャップ。
水泳の結果によって人生そのものを設計していたことへのギャップ。
そのどれもが自分の足枷となり、水泳に対する熱を奪っていきました。
「本当に俺は今までより頑張れているのか」
この「より」という、昔の自分と比べる言葉も、自分自身を苦しめました。
自分があと1年泳ぐ意味として、「3年生の時の悔しさを晴らす」「先輩や仲間の期待に応える」。
どれも理由といえばそうなのですが、本質的な原動力にはなっていかなかったのを感じます。
生きるか死ぬかの本能的なところでやっていたんですかね。
大学4年生
大学4年生になり、早々に練習ができなくなりました。
大学水泳をしている人なら、おそらく知っている人も多いと思いますが、自分にとっては「また高い壁ができたか」と、満身創痍になったのを覚えています。
社会人での進路は決まっている。
そこでは水泳なんか全く関係ない。
インカレで良い結果を出しても、そこで終わり。
悪い結果を出しても、そこで終わり。
人生において水泳を続けていくことが前提だった自分としては、泳ぐ理由も何もかも、全てなくなってしまった。
そんな時に、この高い壁。
「やめ時かな」と考えました。
ですが、このどん底こそが、自分にとって新たな価値観を生み出す転機になります。
ここから二つ目のフェーズやな!
この水泳人生を振り返れば、たくさんのことを経験してきたなと思います。
「何かを得るためには、何かを捨てなきゃいけない」
2年前のスローガンでもあったこの言葉ですが、僕はこのセリフを自分の生きる上での軸としていて、世の常だと認識しています。
水泳をしている人なら誰しも、表彰台のてっぺんに立ちたい、決勝に残りたい、ベストを出したい。
このような想いを持って水泳をしていることだと思います。
栄光を得るためには、様々なものを失う必要があります。
例えば、分かりやすいところから言えば、友達と遊ぶ時間、家族と過ごす時間、勉強する時間、お金、好きな食べ物、コミュニティ。
他にも数えきれないほどのものを犠牲にしなければ、栄光を得られないというのは、すごく残酷なことです。
しまいには、対価を払っているにもかかわらず、努力は簡単に理想の結果から自分を引き離してくる時もあります。
様々なものを失い、目標としていた優勝という栄光を得ても、そこから先、さらに得るものも失うものもあります。
「記録は越されるためにある」。
それが故に生まれる、記録を更新されることへの不安やプレッシャー。
人より優れているという優越感から得られる幸福の裏には、人と比べることでしか幸福を感じられない虚しさがあります。
結果というもので繋がれる人や、広がる進路。
その裏には、結果を出すことでしか続けていけない人間関係や、結果によって人生を設計しなければならないプレッシャーもあります。
逆に、記録が伸び悩んだからこそ手を差し伸べてくれる人との出会い。
辛い現実と向き合うことで得られる忍耐力や思考力。
結果を出すことによって感じる幸せがあれば、結果を出すことによって生じる不幸もある。
結果が出ないことによって感じる不幸があれば、結果が出ないことによって気づく幸せもある。
様々な立場になった人生だからこそ、その時々に気づくもの、失うものがありました。
残酷な話ですね。
結果を追い求めすぎた挙句、色んな意味で水泳を楽しむことを忘れ、過度に結果に固執しすぎてしまい、自分自身を見つめ直す機会を無くして追い込むことにつながっていたんだなと、今では感じています。
僕がこのような考えを持つようになったのは、意外にも就活がきっかけでした。
「結局、自分は将来どうなりたいのか」
そう考える時間を就活を通して持った結果、単純な話、「幸せになりたい」というのが自分の最大の目標だと気づきました。
僕にとっての生きる上での楽しさというのは、何かに没頭しながら、日々新しい自分になっていくことへのワクワクや、その過程で関わる人との繋がり。
そのような要因によって形成されていると考えています。
その上で、僕は何を言いたいのか。
僕の軸は一つ。
後悔のない人生を送ること。
きっと、それが幸せへの道標だと信じています。
何を得ても、何を失っても、いずれその対価は支払う時がきます。
だったら、どうやって幸せになれるのか。
「今この時を全力で生き、やりたいことをやる」
ありがちな言葉で、読んでいるみんなには実感しにくい言葉かもしれません。
ですが、様々な経験をした自分だからこそ言えます。
「やりたいことをやる」。
一見、普通の言葉に思いますが、「やりたいこと」という本心は、意外と分かりにくいものです。
自分でさえ、その本心が分からない場合もあります。
だからこそ、今の自分は何を感じ、どのような考えを持っているのかを素直に表現していく。
それが自分の本心に近づくことであり、本当にやりたいことにつながり、後悔のない幸せにつながっていくと思います。
いっぱいやりたいことをやって、他人に迷惑をかけちゃってください。
自分の本心に近づくことができるなら、どんな手段を取っても構わないと思います。
それが例え相手からどう思われようと、自分の筋を通して、人生を彩り豊かにしていくことにつながると思います。
僕は今、水泳をしていて一番幸せです。
そのどれも、本質的な要因は、やはり22年間諦めずに全力で突っ走ってきたからです。
僕の好きなセリフの一つとして、ある歌の歌詞から。
「圧倒的客観的に見れば絶望的、絶対的一位はきっと取れないな、わかってる、わかっちゃいるんだけど、圧倒的直感的に僕は納得できちゃいない」
これが僕の本心であり、水泳をする理由、ガチってしまう理由、何があっても諦めない理由です。
体力も、気力も、お金も、時間も費やして、やっとこの価値観に気づくことができました。
ここまで本気でやることができた自分に対して、そして、そんな本気を見守ってくれた先生やコーチ、友達、仲間、家族、他にも見えないところで、自分に気づかれないところでサポートしてくれていた方々には、感謝しかありません。
水泳を本気でやってきて、本当によかった。
言葉だけではなく、心の底から感謝しています。
大学水泳は自分にとって何のためになるのかと、日々悩んでいた自分への答えは、「幸せとは何か」を考えるきっかけであり、その答えを探す時間でした。
水泳をしている上で、結果で恩返しをしたい。
ですが、その思いが強いが故に、自分自身を追い込み、幸せを見失う時もあると思います。
これを読んでいるみんなも、もう少し自分の幸せについて考える時間が必要だと思います。
それこそが水泳をやる意味、泳ぐ理由につながっていけば、きっと後悔のない水泳人生、そして人生を歩んでいけると思います。
このブログを読んでいる人たちに、少しでも自分の本心に巡り会うタイミングを作ることができたなら、自分もまた一つ、誰かのためになることができた。
そんなラストブログになったと思います。
僕の人生は、ここから「水泳をやっていて良かった」と思うためのスタートラインだと思っています。
水泳をやっている時は、記録や順位で争う分、結果に固執しすぎてしまうかもしれない。
それはしょうがないです。
アスリートなので。
ですが、そこに向かってやってきた行動や努力、考え方、人間関係は、この先社会に出た時に活かせる場面がいくつも出てくると信じています。
そのようなことを経て、自分の水泳人生は将来完結すると思う。
ラストブログではなく、宣言です。
これに気づけたこの大学生活、そして最後のインカレという晴れ舞台。
ここを僕の人生のスタート台にしよう。
まだまだ諦めちゃいない。
3つ目のフェーズにだ
僕がインカレでいつも胸を打たれるシーンというのは、知り合いやチームメイトが結果を出し、有終の美を飾っている姿はもちろんです。
まぁ、これは今まで30人近くもブログを書いているので、内容が被ってしまう。
なので、違う観点の話をさせてもらうと、僕はB決勝でベストを出して1位を取ってくる選手というのが、毎年胸を打たれます。
インカレはチーム戦。
ですが、各々の本心には、個人的なA決勝や表彰台、優勝といったタイトルを取るために日々練習を積み、それが結果的にチームの得点や士気に良い影響を与えるという側面があると思います。
ですが、B決勝のメンバーを見てみると、予選で思うような結果が出ず、一度は気持ちが折れていながらも、再びB決勝でタイムを出して勝ち切る。
その理由ってなんだろうな、と考えたら、きっとそういう人たちは、「チームのために泳ぐ」というレースをしているのだと思いました。
メダルや賞状といった形や演出がない分、レースに対する潜在的な気持ちの戦いが始まるのがB決勝。
それこそが自分は「インカレっぽいな」と思うと同時に、胸を打たれる場面でもあります。
インカレを観戦する人に告げます。
決勝はもちろん、ぜひB決勝で争う選手の姿にも注目して、学生水泳の集大成である熱い思いを受け取って欲しいと思います。
最後に
この場を借りて、普段言えない感謝を述べていきたいと思います。
佐々木祐一郎さん
3年半、お世話になりました。
祐一郎さんの人柄は、常に自分のお手本とさせていただきました。
他人のことなんて気にしない。
だけど、人の様子には敏感で、そして適度な距離感で指導してくれている。
それは一種の選手への気遣いだと感じています。
そんな指導を受けることができ、様々な話や経験をさせていただいたことに感謝しています。
練習では期待ばっかりさせて、なかなか試合で期待に応えられない自分ですが、最後までどうかよろしくお願いします。
中川コーチ
お久しぶりです。
中川コーチには中1の冬からお世話になっていますね。
当時、中1ながら水泳に対して悩んでいた自分でしたが、養和に移籍し、水泳は楽しいものだと気づかせてくれました。
その「楽しさ」が、22歳になった今でも大事にしている価値観であり、この先も一生大事にしていく考えだと思います。
養和に入っていなかったら、そもそも結果が出ていない可能性もありましたし、辛いことを我慢し続けるロボットみたいになっていたと思います。
もっと話したいことはありますが、このブログでは割愛させていただきます笑。
ご飯誘ってください!
福浦
Crazy Boyこと福浦匠翔。
入学前、LINEのアイコンのフェードがおもろすぎて、今でも覚えています。
その見た目で意外にも、入学した当初から素直に水泳に向き合うピュアな姿。
「こいつは絶対強くなるな」と当時から確信していました。
様々な苦労を重ねて、まさに3年生の夏には、その素直さで勝ち切ったと思います。
ここ最近でさらに色んなことがあった時は、主に福浦や三輪田がいたから、自分は助けられたと感じています。
情が熱いやつは、絶対に人生で誰かに守られる運命だと思っています。
その素直さで、これからもどんどん色んな壁に当たっては這い上がってくる姿を期待しています。
最後の仕事に取り掛かるか。
三輪田
入学当初、サウナに誘われたのを覚えています。
気さくに人との距離を縮められる能力は、誰しもが持っているものじゃない。
そういう特別な存在であったのは、出会ってすぐに分かりました。
よく自分は「凡人だから努力せな天才に敵わん」と口にするけど、すでに凡人界隈の天才だと思っています。
日々の練習に対する取り組みが、その言葉を体現していると思います。
福浦同様、ここ最近で最もお世話になった一人でもある三輪田やけど、一緒に練習していて、ここまでチームを思い、行動を起こすやつは他にいないと思います。
中京には、今も、この先も、三輪田みたいなタイプが必要です。
それを受け継ぐ人が出てきてほしいと思います。
山口遼大
小学3年生の時からの長い関係がある山口へ。
ここまでめっちゃ長かったね笑。
ブログの通り、最後は子供らしく貪欲に結果だけを追い求めてほしい。
そんな姿を自分も目に焼き付けて、全力で応援する。
悔いの残らない水泳人生にしよう。
東、みこと
人生、楽じゃないよな。
越えなきゃいけない壁がありすぎて、疲弊するかもしれない。
でも、そういう道だからこそ、おれらも見捨てないし、最後まで応援したいと思える。
厳しい現実と向き合っている姿だからこそ、他人に影響を与えられているんだよ。
この思いを後輩にも継承していってほしい。
比嘉、野田、土谷、岡
来年から中京の平泳ぎの中心人物になるのは、間違いなくこの4人だと思います。
どういう平泳ぎのチームにしていくかは、君ら4人次第。
来年からインカレでは、とてつもなく速いやつらがいっぱい入ってくるけど、ぜひそいつらと渡り合っているところを見てみたい。
応援してます。
ねもてぃさん、やまちゃん
短い間お世話になりました。
2人がいたから、自分は歩みを止めずに進み続けることができました。
社会人でもしかしたら50mとか泳ぐかもしれないので、その時はまた熱い勝負しましょう。
あらたさん、なべちゃん
後輩として可愛がってくれた2人には感謝しています。
2人のおかげで、僕のプライベートは充実しました。
プールでも泳ぎを語り合うほど水泳熱心で、そんな2人と水泳の話をする時間が僕は好きでした。
インカレ後、また遊びにいきましょ。
卓さん
小6からの憧れであった卓さん。
全中の決勝のストローク数を知っているという会話をした時、当時引かれた記憶があります。
中京に入ってからも、そのカリスマ性だけでなく、チームを築くリーダーシップ性が、誰にも真似できない能力だというふうに日々感じていました。
最後のインカレ、卓さんの記憶に少しでも残れるように、精一杯頑張らせていただきます。
しんじ
同期で平泳ぎといえば、しんじしかおらんね。
入学して早々、ダイブの練習してボロ勝ちしたね笑。
引退レースは、なぜかおれも震えそうなぐらい緊張して見ていたけど、あの状況でハイパフォーマンスを出せるしんじは、おれ以上の勝負強さがあるのかもよ?
もっと自信持って、これからの人生歩んでいってね。
びおら
君にはお世話になったね。
アホやけど人間としてしっかりしている部分や最低限やることやれるのは意外だね。
びおらもまた熱い心を持った人間の1人であることはそばにいてもわかるよ。
その熱い心というのをもっと広範囲に広めていって欲しい。
人としての大事な部分は全て揃っているびおらならこれからもっと素晴らしい人生歩めると思うよ。
周りの声なんて全て雑音。
自分が正しいと思ったことを後悔なくやりなさい。
それが人としてまたレベルが上がることに繋がり、人生を楽しませてくれるから。
かっこよく生きろよ。
しっしー他、情熱を持ったもの同士中京の女子全体を変えていけ。
父、母
ここまで育てていただき、また水泳を本気でやらせていただける環境を作ってくれてありがとう。
こういう時だから最後まで諦めない自分を見といて。
多くは語らないです。
レースで語りたいと思います。
余談
感謝フェーズは完全に思考がバテてしまったため、後日直接言いにいきたいと思います。
ので、ご飯いきましょう。
それでは勝つ準備を、
おやすみ

しかと目に焼き付けろよ




コメント