こんばんは。
まずはじめに今日のカウントダウンです。

今日の担当は4年生です!
インカレまであと4日。
みんな戦う顔になってきてますね。根本がでかすぎますが。
僕たちは完璧じゃなく、足りない部分が多いと思います。
ただ、流れを作ってその流れに乗り切れる学年です。
覚悟を持って全員で戦います!
ラストブログに入る前に、先日行われたHACインカレについてですが、、
結果的にも、雰囲気的にも、大成功のHACインカレだったと思います。その要因として、サポート側に回ってくれている、4年生のサポートスタッフの尽力が大きかったと思います。
色んな思いがある中、一人一人に対するコミュニケーションの取り方、試合会場の設営やその準備段階、レギュラーメンバーや後輩たちのために、サポートに一生懸命動いている姿、僕は同期として誇りに思います。
良いチームを作ってくれてありがとう。
この流れ、必ずインカレに繋げます。

では、ラストブログに入ります。
ガングロたまごちゃんから引き継ぎました。鎌田純吾です。
最終日までガウン着て戦おうな。
ついに自分の番が回ってきてしまいました。インカレまであと4日ということは8日後には引退をしています。これまで生活の中心にあった水泳がなくなるのは考えられないし、自分の存在を証明する唯一の場所ぐらいに思ってたから、また普通に練習してる日々が来るんじゃないかって思ってます。
何を書こうかすごく迷ったけど、
これまでの水泳を通して、自分で経験して学んだことを書こうと思います。
まずは、ちょっと昔話。
水泳は気づいた時からやっていて、いつの間にかJOに出ていました。
小3の夏から出場して、春にはリレーで決勝に、小4の夏には個人で4位、春には優勝しました。順風満帆とはまさにこのことで、そこまでまだ同学年に負けたことはありませんでした。

こんなに結果が出たのは、やっぱり納得のいく理由があります。それは、父親です。自分の担当コーチよりも、指導されてた記憶があります。すごくむかつくけど、言う通りにしてればうまくいってました。
そのおかげか、水泳に対する理解というか水泳IQがめちゃくちゃ高かったと思います。
例えば、
小学生の低学年ながらに、長く泳ぐのは右呼吸で、短くスピードを出すのは左呼吸って使い分けてたり、
バサロの回数とストローク数を決めて、陸で動画を撮りながらストロークの練習をしたり、
練習メニューをノートに書いて、気をつけたこととか、その日の感想を書いたり、
今でもやっているようなことをこの頃からやっていました。
最初はやらされてたのかもしれないけど、間違いなく、勝てる準備をしていたと、自信を持って言えます。
時が経つにつれ、周りとの体格差とかもあり、ちょっとずつ負けることを経験し始めます。1回チャンピオンになってしまったら、1人にでも負けたらめちゃくちゃ悔しかった。
小6では3位、全中では6位、インターハイでは5位、インカレでは6位。
ぎりぎり耐えてるほうだとは思います。むしろインターハイとインカレではよくやったと思ってます。
でも自分の中での最高成績は小学4年生。
中京大学には自分と似たような人、多いと思います。過去に全国大会の決勝とかメダルとか、持ちタイムが全国ランキング上位とか。
全員が過去最高成績まで戻れば中京は強いなんて話したこともあります。
だけど、水泳は本当に甘くない。難しい。一瞬でダメになることができる。
余計なプライドはいらない。でも最後競った時の少しの意地ぐらいは残しておく。
負けることに慣れてはいけない。
過去の自分と大きく違うのは自信だと思う。今はまだ根拠のない自信でもいい。自分の世界に縮こまらずに大胆にレースした方がいい。
だめだったら何が足りないのか、もっと頑張らなきゃだめだな、とか。
こんな感じで、自分なりに考えて、結構真面目に水泳に取り組んできました。
そんな中、自分の考え方が大きく変わる出来事がありました。
それは、長谷川純也さんとお話をさせてもらったことです。
自分は、大学1年生の3月に難病にかかりました。
今ではほとんど問題はありません。健康体です。
3月から5月の2ヶ月間は生活をするのもしんどいくらいで、訳のわからないまま、水泳なんて終わるものだと思ってました。
元々細身の体なのにどんどん痩せていきました。当時のちょっと元気な時の写真です。こんなガリガリが一年後にはインカレでA決勝を泳いでます。何が起こるか分かりませんね。

これは、練習の一環で大学のキャンパス内を卓さんと走っている時です。
卓さんとは高校からお世話になっていて、自分が病気で部屋に引きこもってた時期に、外に連れ出してくれました。卓さんの巧妙な飴と鞭によって僕たちはコントロールされてました。本当に感謝しています。
ある日、裕一郎さんから、自分と似たような境遇だった長谷川純也さんがプールに来るから、話を聞いてみたらどうだと、お誘いをもらいました。
もちろん、お話をさせていただきました。
「できないことや、できなくなったことが多くて、でもそれが病気が関係しているのか、それともただただきついのを言い訳にしているのかが分からない。とにかく、自分のやっていることに自信が持てない。」
と、その時に抱えていた悩みを打ち明けました。
「自分ができることとできないことは割り切ってやるべき。周りは気にせず、自分の体は自分にしかわからないのだから、自分に合ったことを時間をかけて見つけていく。そして、水泳について悩むよりも、まずは、生きる。1人では抱え込まないで、間違っても自分が不幸な人間だという風には思ってはいけない。」
このお話を聞いた時に、一気に考え方の幅が広がりました。
なんで自分が病気で、
なんでこの時期で、
なんでインカレに向かって準備ができないんだろう、
なんでみんなと同じように生活ができないんだろう、
なんで自分だけが。
そんなことばっかり考えてました。
人生で1番悔しい2年間。毎年体調を崩してレギュラー選考にすらまともに泳げず、何もできない。しまいには難病に。
これほど悔しくて絶望したことはない。自分は無理なんだと、勝手に決めつけて諦めかけてました。
どんどんネガティブになってこんなことを思うようになってました。
自分は不幸なんだと。
自分よりも遥かに結果を求められる、高いレベルで水泳をしている長谷川純也さんの言葉には重みがあって、見透かされているような気持ちになりました。
0.0何秒を削るために、計り知れないほど泳ぎ、たくさんドライもして、神経使って泳ぎを極める。
こんだけやって遅くなることもある。むしろその方が多い。
何度も心が折れそうになる。
成果が出ないとつらくなり、やめたくなるのが人だと思う。
だけどまた、プールに来て何とかして成果を出してやろうと、頑張れる何かがある。
そうやって何か一つの事に対して熱中して、人生を賭けられるものがあって、それに出会えたこと。
その時点でもう十分に、幸せである。
これは自分が病気にかかったから、身に染みて感じることができた経験ではありますが、
今、結果が出なくて悩んで、水泳をしんどいなと思ってる人にも言えることなんじゃないかなって思います。
タイムが出ないってなると、徐々に視野が狭くなっていって、最終的に何を考えてもわからなくなります。
そこで一旦立ち止まって、結果にこだわりすぎずに、まずは贅沢な悩みであると自覚してみてください。
意外とそれが、良いきっかけになるかもしれません。
この事に気づけて、ここまでやってこれた時点で、もう既に、
僕の大学水泳、これまでの水泳人生は、大成功です。
中京大学のスタッフの方々、先輩方、同期、後輩、日大豊山の男たち、埼玉県スイマー、コナミ北浦和のみんな、たくさんの人たちに恵まれて、
両親にたくさんのサポートを受け、高いレベルで水泳を続けてこれた事、
特に思い出せないくらいの、何気ない会話だったり日常が、
全て僕の幸せです。




最後、
水泳人生の集大成。
このメンバーだからこそできる挑戦を、
全身全霊で噛み締める。
東京アクアティスセンターにて、
どんな幸せが待っているかな🏆
鎌田純吾



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