どん底からしか見えない景色

今日のカウントダウンは3年生漢です。

今年がラストイヤーのつもりで泳ぐって言ってくれてるアツい後輩達です。

絶対獲ろう🏆

 

高橋先生のお話をいただく様子です。

僕も沢山お世話になりました。

これが平泳ぎの中京たる所以です。

落ちる日にもちゃんと意味がある。

望琥人。しんくん。しっかりやれよ。

バイクを漕ぐ岡くんです。

オレがなんとかなったんだからお前もなんとかなるよ。多分。しらんけど。

折れるな。来年アクアティクスで泳ぐお前が見たい。

 

しゅうくんがドライする様子です。

水上チームに移動してからよく話すようになりました。

しゅうくんなら大丈夫やれるよ。水上チームのやつらをこれからも引っ張っていってな。

円花と竹葉です。

肩幅が僕より大きいです。

竹葉はいつもご飯を作ってくれます。ママ。

明日の竹葉のラストブログもお楽しみに

 

僕の専属学業支援最強ブレインの伊須新太くんから引き継ぎました柳橋成です。

大学卒業(仮)させてくれてありがとう。

124単位の100単位分は助けてもらいました。

いや〜新太とはタイムが出なくて本当に一緒にグレたなぁ🍻🍺

よく改心してここまで頑張ってきたよオレたち笑

(これは2024未突破だったから観客で行った選考会どん底のど真ん中かな笑)

 

改めましてこんばんは

柳橋成です。

1年生のときやべーラストブログとか4年になったら何書くんだろ〜って思ってたラストブログを書くときが来てしまいました。

時の流れ早すぎやろ⏰💨

みんないい事書いてて思い出が溢れてエモい気持ちになるので

 

 

僕は僕の想いと決意表明

 

 

僕は小中学生のとき全国大会にカスリもしないような選手で

やっと初めて出れたJOも高校3年の夏だったりインターハイも高校3年時しか出場できないし決勝なんか個人で残れたこともなくて

高校で「水泳辞めようかな〜」「大学は都会のとこ行ってクッソ遊んでやろうかな〜」

なんて思っていた矢先、草薙先生から勧誘のオファーをいただきました。

最初すぐにお返事は出来ずにいたのですが

高校生の時から今の今までお世話になりまくっているOBの平泳ぎの大先輩”山中祥輝さん”の出身大学であること。

高校の先生から中京大学は”平泳ぎの中京”と呼ばれるほど歴史がある

ということから入学を決めました。

 

入学を決め新潟の田舎から出てきたクソガキには本当に全てが新鮮で

隣に同期のBrの速いやつがいること。

練習で負けること。

frのEnduranceで女子にボコボコにされること。

土日夜通しで同期とカラオケいったりドライブしたりすること。

 

日常生活も水泳も毎日が刺激的で楽しくてなんかよく分からんけど水泳もすっげぇ調子良くて。

練習を無我夢中でこなしてくうちに地元の県選でベストも出てメンバーにも入れて、目標達成とはならなかったけどインカレでは1秒くらいベスト出せて

「こっからオレは来年は絶対B決勝には残って再来年にはAでラストイヤーには…」

なんて思ってました。マジで

でもそんな現実は甘くはなく

異変に気付いたのはインカレ後のオフが終わってから

最初は

「なんかちょっと調子悪い。」

「でもまあOPENの辰巳で泳げばまあなんとかなるっしょ!」

45位 2分17秒45

「いやまあ地元の新潟で泳げば大丈夫でしょ!」

2分20秒

前みたいに練習をこなせないし、レースも良いタイムが出せない。

 

どんどん狂っていく泳ぎの感覚

 

 

“どん底ってのは底がない”

 

 

長く暗い暗い闇に滑り落ちていくような気分でした。

 

僕は200m平泳ぎはそこから

20秒かかったと思えば24秒までかかることもありました。

 

今振り返れば”調子が悪い”と理由と言い訳を盾にして環境だったり、チームだったり、練習のせいにして逃げていたんだと思う。

 

近道ばかり探して自分を改善しようと自分自身に向かい合わなかった 。

 

助けてくれようとしている同期や先輩、周りの人を見ないふりして。

 

 

あっという間に夏がきて

上手く泳げないまま

2年目の夏、3年目の夏もHac

初めてのプールに一切触れない試合。

 

応援することしかできなくて、

先輩達のカッケェレースも

同期達がインカレで活躍してどんどん成長していくのも上から見るだけ。

 

 

 

 

 

クソダサかった。

 

 

 

 

 

なにもできない自分が。

情けない自分が。

なによりもメンバーとしてインカレで戦うプレッシャーを感じることが無いことを楽だと感じてしまっている自分が。

 

 

 

特に去年の200m平泳ぎA決勝3枚

 

 

 

 

これにはマジでくらった。

 

 

 

「あぁ。オレが今泳いでもこの3人には手も足も出ないな。」

「勝てない。」

って思ってしまったから。

 

そこから変わった。

練習への取り組み方。

練習30分前に来てドライをする。

そのドライもただみんながやってるからとかとりあえずじゃなくて一つ一つ意味を持って理解してやる。

1ストローク、1キック

どれだけこだわってやれるか。

目標に対してどうやって近付いていくか。

 

そこからタイムが少しずつ安定し、短水路では選手権の標準も切る事ができた。

(切れた喜びよりもみんなが喜んでくれたのがマジで嬉しかったよ笑)

長水路でも長い時間はかかったが大学1年目のインカレのベストを約2年半ぶりに今年の6月の地元の新潟県選で更新することが出来た。

 

そこから少しずつ前は心配されていた自分のレースがだんだん応援されるようになった。

 

 

 

 

人間、本気で変われるタイミングは

やっぱり”自分自身で覚悟を決めれた時”だと思う。

 

 

 

 

いらないプライドも全部捨てて色んな人に教えを乞う。

自分より競技力が高い選手にはもちろん

自分より低い選手にも。

自分が変われる、より良くなれるチャンスを

見逃さず飛び込む。

自分が本気になって教えを乞うことで教える側も本気で自分を良くしようと力を貸してくれる。

本当に色んな人に救われてきた水泳人生だととんでもなく自信をもって言えますが紹介し出すとめっちゃ長くなりそうなので少しだけここで名前をあげさせていただくと

(写真がない笑)

まず卓さんには金額にしたらとんでもないくらいお世話になりました…💸💰

卓さんの世界短水路前最後の日本でのオフの日に愛知学院大学での試合に車で40分かかるところを呼び出してレースを見てもらったり🥶

レース前日のFPに卓さんを30分早く来させて泳ぎを見てもらったり🥶

どんだけ調子が悪くても泳ぎが悪くてもタイムが悪くても見捨てずここまで導いていただきました。

20年ローンで返済していきます🫶

羽登さんと孝太郎さんにはメンタル面で一番辛いときに支えてもらいました。

大学水泳を続けれていたのは2人のおかげ

4年生になり1番上の立場となって後輩達と接するときいつも考えるのは

「孝太郎さんならどうするか。」

「羽登さんならどうするか。」

を考えて行動してきました。

4日目カマすとこしっかり見てて下さい🔥

あ。あとしゃーなしついでに福浦

心配してない

オレらならやれる

カマしてやろうぜ

(なんか昔の写真だけど……)

健太さん

一年生の頃ペーペーだった僕をインカレという大舞台でベストまで導いていただきありがとうございました。

一時期は意地を張ってしまっていた頃もありましたが結果で恩返し出来るよう頑張ります。

裕一郎さん

2年生の絶不調の中チーム移動をし、

200m平泳ぎで2分24秒かかったとき

「前半は1分4秒で入れたんでしょ?」

「じゃあ2分10秒切れるよ!」

「オレが言うんだから間違いない!」

と言われたことを強く覚えています。

(裕一郎さんは多分覚えてないし多分これを見てない)

言われた時は

「???」

となりましたが

どん底の真っ暗闇の中で裕一郎さんの言葉達は

自分にとって熱く眩しく光るものでした。

裕一郎さんの元で学べた水泳理論はまさに自分にとって基盤そのものでこれが無ければ今の自分はありません。

光順さん

レース水着をめっちゃ買いました。

ありがとうございます笑🙇‍♀️

拓也さん

4年生で水上チームに移動して面倒をみてもらうようになってこんなこだわり強くてめんどくさい僕をヨイショしながら上手く頑張らせてくれてありがとうございました笑

3年ぶりにベストが出せたのは間違いなく拓也さんのハードワーク(キツすぎ)と拓也さんの人柄の良さに惹かれ、拓也さんの為に頑張ろうと思えたから

選考会での苦い思い出を同じアクアティクスでリベンジします。

あとはやっぱり同期!

ここでは書ききれない!

 

この写真がベストショット過ぎて超えれないから9月7日アクアティクスのプールサイドで指を1本上に掲げて写真を撮ろう。

 

あとは喉乾きすぎる親分とベストタイばっかのやつ声変わりまだのやつ身体と態度だけはでかいやつだったり

いつも様子がおかしいキス病の次期主将

インターハイチャンピオンの小デブ

手札が多い先輩の車で寝るやつ(ヨイショ多い)

比嘉さん

ドッカンバトル廃人の凄腕トレーナーさん

وإيسا-كون

(書き出すとキリが無さすぎるのでもう割愛😅)

(みなさんお世話になりました🙇‍♂️)

 

 

 

話を戻すと…

 

 

 

中京大学には「救われて救う。」

この伝統がある。

 

 

この伝統に自分は救われた。

めちゃくちゃ救ってもらった。

 

 

 

その分自分は

 

 

 

去年の200m平泳ぎA決勝3枚をみて

自分が変わるきっかけをもらえたように

 

 

 

誰かのきっかけに

 

 

 

20点獲るなんて言えないし

何種目もインカレで活躍はできない。

 

 

それでもオレみたいにエリートじゃないやつが成し遂げるから意味がある。

上の先輩達から受け継いだものをより良くして下に受け継ぎ、繋ぐ。

 

 

 

 

 

「なんでオレばっかり」なんて何度も思った。

4年間上手くいかないことだらけだった。

 

 

 

でもそのおかげで今がある。

 

 

 

上手くいかないストーリーでは終わらせない

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

重ねたものを背負う一度きり

始めたものを片付けにいくよ。

テッペンを”全員”で獲りにいこう

 

 

 

 

柳橋成

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