16日🍊⸒⸒

8月20日☔️
本日のカウントダウンは草薙チームです!

中京のエース集団です、、!
点数ジャンジャン稼いじゃってください!!☝️

今日はHACチームが試合を終えミーティングしてました。ともくんナイス目線。

練習後の土谷直樹くんです🔥
男前です😉

敏腕寮長の東藤ジョジョ太郎からバトンを受け継ぎました、中阪太軌です!

おれが試合でだらけてるみたいな印象操作やめてよ、、、🥲

なんか感動的なブログを勝手に期待されたのでこのブログで芥川賞とって小説家を目指すことにします。

ジョジには同期としても寮長としてもたくさんお世話になりました。

ゲームの趣味が一緒でポケモン、モンハン、Apex、電波人間とかいろいろやったりポケモンGOしに豊田市中の公園に行ったのはいい思い出です。
ジョジョ10部の主人公の予定なので楽しみにお待ちを!

同期のラストブログを毎日楽しみにしてたらいつの間にか自分の番になってました。何書こうかな~と、今までの水泳人生やコーチ、家族への感謝、後輩への想いみたいなものを書いてもよかったのですが、たぶんそれはみんながやってくれてるし、、、

自分はなかなか普通じゃない、激動(?) の大学生活を送ってきたのでせっかくの機会だし、まだ誰にも話したことのない水泳部から離れていた期間の心境や経験を中心に書いていこうかなと思います^^

最後の方に同期のみんなに触れちゃおっかな!

みんなと毛色の違うブログになると思いますがたまにはこんなやつがいてもいいです。たぶん。知らんけど。

僕の事を知らなくてこのブログを見てくれてる人や後輩のみんなは置いてけぼりかもしれませんがあの車椅子の先輩にはこんなことがあったんだよーって見てもらえれば!

まずは選手だった時の自分を少し。

高校までの自分は水泳選手として速かったわけでもなく、誇れるような成績も特にありませんでした。
高1の時にあと少し、という所で国体を切れなかった時から正直言って水泳に対して適当になっていたと思います。コロナも追い打ちしてきてモチベーションはマジでなかったです。

大学もマネージャーをするつもり満々でした。でも中京に入ってもなぜか泳いでいました。
あんまり覚えていませんが光順さんと最初の2年は選手としてやってみてから考えるみたいな話をした気がします。

そんな大学水泳が始まって、やるからには周りに少しでも追いつきたくて必死に取り組んでいたら面白いほどに記録が伸びていきました。
あの時のKJのMiddleチームはめちゃくちゃ楽しかった。咲蘭さんのIMや楓太のBrと勝負したり、shortの明楽に絶対負け越さないようにしたりして、練習が充実しまくっていました。たまにMDDの海太や祐介と練習する機会もあって本当に刺激になりまくりでした。速くなれる環境って貴重だな、と。

自分の知らない世界ばかりで、
レベルが何枚も上の先輩や同期と同じ飯を食べて同じ練習をするのは最初は萎縮もしてましたが、今思うとすげー楽しかったです。

初めて競泳選手としてのスタートラインに立った気がしました。
当時のHACインカレだったアクアサイドもベストで終え、順調に夏シーズンの幕を下ろすことができました。

ただ、人生って中々甘くないですね。1年生の10月末に水泳選手としての自分は突然終わりを迎えました。

WT後、短水路でDive練習していた時、首の骨を折り脊髄を損傷しました。

急に身体が動かなくなって最初は何が起こったかもわからずただ溺れていました。正直死んだと思いましたが、一緒に練習していた楓太が助けに来てくれました。来てくれなかったら今頃土の中です。誇張なしのガチの命の恩人です。ほんまに感謝です。

やらかした~と思いながら救急車で運ばれ、胸から下の感覚が全く無いという変な感覚で焦りましたが、手術すれば治るだろうと普通に思っていました。

1ヶ月もすれば退院して、また水泳できるだろうって。
(ちなみにその救急車の中で救急隊員の人に「これって目瞑ったら死にますか?」って聞いてました。健気でかわいいですね僕。)

なかなか物事はうまくいきません。

手術しても手術前と何も身体の状況が変わりませんでした。この時はマジで面を喰らって、薄々、水泳選手に戻るどころかこのまま何もできない寝たきりになるんじゃないかという不安が頭をよぎりました。

その不安はまあ的中して脊髄損傷は現在の医療では治らない、このままこの身体は良くなることがないということを知りました。
一生車椅子宣告もされました。

汗をかかなくなる、脈拍が上がらなくなるなど、さまざまな見えない障害も残り、アスリートとしての、人間としての尊厳をぐちゃぐちゃにされました。
話してないだけでたぶんみんなが思ってるより何倍もボロボロの変な身体です。

親にも申し訳ない気持ちでいっぱいでした。
いろんな人からくる「絶対治るから!」っていう純粋な励ましのメッセージも凄く重荷にもなっていた。

ただ速くなりたい一心でやっていただけなのに、「なんで俺なん?」って何回も何回も思いました。

誰も悪くないのに誰かのせいにしたくて必死だった。

自分を責めると心が壊れてしまうから。

「もうなんでもいいや。人生。」

と、なりかけましたがほんとにギリギリ耐えました。

中京大学水泳部の存在が無ければアウトでした。同期も先輩もスタッフもみんなが「帰ってこい」というのに頑張らないやつはいません。
そこから自分の身体と向き合いました。論文を読み漁って勉強もしました。リハビリもちゃんと最大限の努力をするようにもなりました。

「絶対に心配をかけない、何でも自分でできるようになる。」

今はまだその道のりの途中ですが、これがずっと、今も、この先も自分の原動力になります。

そのまま地元の和歌山、岡山と転院して大学復帰を目指して、リハビリに尽くす日々を過ごしました。最初の頃は今の姿から想像もつかないほど何もできなかったと思います。

幸いなことにリハビリを担当してくれた療法士にすごく恵まれ、僕と同じ熱量で、同じ方向を向いてやりたいことをやらせてくれました。僕に関わってくれたすべての医療従事者のおかげで今の僕がいます。特にツカジ、めちゃくちゃ楽しかったです。ありがとう。

音楽の力もたくさん借りました。

「僕が立っているここはきっと誰かの願ってる場所で」
「誰かが立っている場所がきっと僕の望む場所で」
「誰かがきっと今僕にとっての夢を叶えてくれている」
「僕もきっと誰かにとっての夢を叶えている」

RADWIMPSの「夢番地」という曲です。すんげーこの歌詞に励まされました。

そして1年と少しの入院を経て無事退院し、まず実家に帰ることができました。
長い長い夜でした。緊張と不安とワクワクと解放感が入り混じる変な感情でした。

2023年の初泳ぎでみっちーと孝太郎と羽登に一足先に会えた時はほんまにうれしかったなあ~。車椅子の姿で行くのはすげー緊張したけども。山ちゃんもその時初めましてやったけどいいやつでした。
んで、あの日は寒すぎた。

スタッフ全面協力のもと、寮にも戻れるようにしてもらい、3月にはやっと豊田に帰ってくることができました。

念願だった部活復帰を果たしましたが正直言うと2023年シーズンは楽しくなかったです。

移動の制限、何をしても時間がかかる、手が上手く使えない。
段差も階段も一人では越えれない。
試合も一緒の空間で観ることができない。原型も参加できない。部のイベントも見てるだけ。
チームから疎外感を感じることは何度も何度もありました。
(あまり言いたくないけど今も少なからずね)

バリアの多さと選択肢の少なさに心をぐちゃぐちゃにされたりもした。

練習も眺めているだけで自分にしかできない仕事もない、そして選手でもマネージャーでもない自分のあやふやな立場に毎日打ちのめされてました。現実を見せられ、何回も何回もこの身体を呪ってました。

「何のために帰ってきたんだろう?」ってずっと思っていました。
居場所はあったようでなかったような気がします。

ただ、その年のインカレを現地であの雰囲気を味わえて、総合2連覇して、それを見れただけでも帰ってきた価値があったと思えた。よかったよかった~。

2023年10月、新チームが始まり4月までもっちーと2人でKJの練習を回すようになったのですが、その半年は結構忙しかったし、できないことも多かったけど、復帰してから一番充実した期間でした。楽しかったな~。もっちーありがと~。
何かに打ち込める状況があったことで変にネガティブになることも少なくなりました。

そんなこんなで、ここまで来ました。今も正直何をするにしても障害がチラついてきますがどーにもならんことはしゃーないです。一生こいつと喧嘩しながら付き合っていきます。

あ、でもこの前KJ4年でビアガーデン行ったときはその事は何も考えずに楽しめました。お酒っていいですね。

さあこれで一段落です。
最後に同期にちょっと触れます。

まずはみんな、帰ってくる場所を作ってくれてありがとう。同期がいなけりゃ間違いなく折れてました。

ただ、自分が何事もなく万全な状態でそこに居れたらどんな感じだったんだろう、どんな自分だったんだろうと常々思います。

想像もつきません。
それくらい空いた1年半は長かった。

みんなと一緒に全力で、同じ目線で競技なりサポートなりを一緒にしたかった。

同期のかっけー姿はめちゃくちゃ自分に刻まれてます。特にインカレ。
海太の2:12秒も、美咲の400Frも、大翔の3位も、菜月の学生新も、女子リレー3冠も。

ずっと同じチームのゆめはインカレ、世界水泳と、レースでかっこいいのは当たり前なんやけど、練習でも本当にストイックでプライド持って取り組んでるし、チームの要として今年もすごい安心して見てられる。あとは勉強もちゃんとやって一緒に合格するよ!!

あとは特に思い入れのある人

楓太

入学してから学科も一緒ですぐに勉強も水泳も今もめちゃくちゃ世話になった。
物事に対して実直で、ネガティブなことを表に出すこともなく、すげー考えてるんだなーっていうのは練習みててヒシヒシと伝わってきた。
こんだけちゃんと取り組みを見てたからこそ、津田の時はしんどくて、鈴鹿へ向かう最中は変なことばっか考えてた。

上がってからもサポートも学外活動もしっかりやってて、やっぱ俺の中ではすげーやつです。リスペクト。命の恩人。筋肉。

みっちー

ダントツで付き合いが長いよな~。合宿も試合も一緒やったし、高校も近いから駅でもよく会ったし、いっぱい遊んだし。すげー長い付き合い。
挙句俺の知らんまにdistanceじゃなくなって同じチームになってるし(笑)

みっちーおらんかったら最初はまじで心細かったやろうな~。

練習見るようになってからはみっちーもたろちゃんももっと頑張れよそこ!って思うことは結構あったけども、津田前は雰囲気もあってワンチャン?って。

最後の県選は感慨深かった~~!

もっちー

多くは語りません。4年MGの中で一番信頼してます。ありがとう。あとちょっとがんばるぞ。

さて、

僕は大学院に行く予定なのでもう少し豊田にいますが、こんなに熱くなれる場所ともうすぐお別れとなると寂しいですね。いろんなことがあった3年半でした。

やり残したことも心残りもない!ってみんなみたいには絶対に言えないし、
1ミリの不満もなくこの3年半を過ごせたかというと、絶対に首を縦に振ることはできない。

「たられば」の世界が一生頭の中に居座ったままで僕の人生はこのまま進んでいくと思います。

そんな「たられば」や、弱い自分の本音は表にあまり出さないように、心の底に置いて閉じ込めていたつもりですが、この文章を書いていたら段々込み上げてきちゃいました。

「普通に」生活をして。
「普通に」水泳をして。
「普通に」友達と過ごして。
「普通に」純粋な気持ちで喜怒哀楽を一緒にして。

もっと、もっと、みんなみたいに。
みんなと一緒に!!って。

そんな風に過ごせたらどれだけ幸せだったかな。どんな人間になれたかな。どんな将来を描けたかな。

閉じ込めてきたはずの沢山の感情が溢れ出てきます。

人間って大抵失ってから失った物の大切さに気づきます。嫌でも気づかされました。
ましてやそれがもう二度と手に入らないとなると結構凹みます。

僕の目線とみんなの目線は絶対に違うし、価値観の相違は必然なんだけど、
みんなにもこの先、大小はあれど色んな事が起きると思います。襲い掛かってきます。
その時、無数の選択肢が残ってるうちに後悔しない、自分が楽しいと思える道を選んでほしい。今の競技に打ち込める環境、幸せと感じる時間なんていつ終わるかわかりません。

怪我で選手生命が絶たれる。大規模な流行病で部活動ができなくなる。大地震、災害で環境そのものが無くなる。色々起こりうると思います。

そんな中で今ある時間を、遊びを、競技を、大学生活を、全力で噛みしめてほしい。
色んな選択肢がある環境を幸せなんだと実感してほしい。
「たられば」に引っ張られることなく生きてほしい。

自分の選んだ道の正解なんて誰にも分からないし、正解を信じて続けてきた努力なんか結果に繋がるとは限らない。

それでも自分で考えて考えて考え抜いた選択なら結果がどうであれその過程には大きな価値がある。

ダメだった自分を、結果が出せなかった自分を頭ごなしに卑下しないで欲しい。
次、それを糧に、より後悔しない選択を、より充実した過程にするための準備に繋げてもらいたい。

僕はこの少ない選択肢の中から選んだ、懸命に生きる選択が、水泳部に戻る選択が正しかったのかは分かりません。想像していたよりも沢山の壁、辛い事があったからです。

ただ「水泳部に戻るんだ!」という強い意志のもとやってきた努力の過程に全く後悔はないし、求めていた自分の理想像には届いてなくとも、この選択をした自分をめちゃくちゃ褒めてやりたい。

良くも悪くも僕はこの障害と引き換えに非常に多くの経験を得ました。

普通に生活してれば味わうことのない人並み以上の。

ニュアンスはちょっと違うかもだけど、

「痛み無くして、得るもの無し」 です。

最後のインカレはもう目と鼻の先、しかも100回大会です。
インカレメンバーにも、HACにも、マネージャーにも、

色んな想いが個々にあると思います。

「No Pain No Gain」

心に刻んで、9月8日。

指をひとつ上に掲げて、プールサイドでCUST2024の写真を撮りましょう。
それが今の僕の楽しみです。

これがすべて噓偽りない僕の胸の内です。全部吐き出しました!

あーほんとに思い返してみれば色々しんどかったなーー!!

誰か1人にでも何か感じてもらえていたらいいな、笑

だいぶ長くなってしまいましたが、

おーわり!!

明日のブログは博多が生んだ大スプリンターやけん!田山茅咲やけん!
めっちゃ良いやつやけん!身長俺の2倍くらいあるけん!楽しみにしとーとよ~!!

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